

この文章は平成30年10月15日、国立リハビリテーションセンターで行った「視覚障害者あはき師の職業支援」に関する講演の内容を基にしています。また、各盲学校の鍼灸手技療法科生徒の治療院見学やインターシップ(治療院体験実習)でお伝えしてきた内容を加筆・修正したものとなっています。

当院へ就職をご希望される方は、是非こちらの文章(長文ですが)をご一読ください。こちらの文書は視覚に障害のある鍼灸学生向けに書いた文章ですので、内容がどちらかというと視覚障害者向けとなっておりますが、当院は視覚に障害にある、なしを問わず、鍼灸師の方を採用しております。実際に一緒に働いている安間先生は晴眼者ですし、育休中の小林先生も晴眼者です。

私は、オアシスはり灸治療院・院長の小宮です。この度は、視覚障害者で開業している鍼灸師という立場から、私たちの治療院開業体験をお話しさせて頂きます。私たちにとっても、このような貴重な機会を設けて頂き、皆様に感謝申し上げます。
さて、皆様は、国家試験合格に向けて勉学の日々をお過ごしのことと思います。また、すでにあはき師の免許をお持ちの方も、鍼の技術向上に研鑽を積まれていることと思います。
皆様は鍼灸師として、将来のビジョンはお持ちでしょうか?いずれは開業したいと考えている方も多いと思いますが、その為にも「どの様な治療院に就職すれば良いか」を考えるのは、とても重要です。以下に、私たちの治療院について、お話しさせて頂きますので、是非これかの参考にしてください。

皆様、こんにちは。私は院長の夫で、鍼灸師としてオアシスはり灸治療院及び株式会社オアシスを運営している小宮と申します。私は、働くスタッフにとっても、また患者さんにとっても、理想的と思えるような鍼灸院を創って行きたいと思っています。現在、当院は一緒に働いてくれる鍼灸師を募集しておりますので、ご興味がある方は、お気軽にお問合せください。

後先が逆になって、大変申し訳ございませんが、ここで私たちのプロフィール、と治療院の概要についてお話させて頂きます。 まずは、私たち夫婦のプロフィールです。
私たちはともに、子供のころにスティーブンスジョンソン症候群という病気にかかりました。命は助かりましたが、目と肺に後遺症が残りました。この病気は薬の副作用で全身の皮膚粘膜がやけどのようになり、深刻な後遺症を残すという難病です。
もしかしたら、皆様の中にも同じ病気の方がおられるかもしれません。私たちの場合は、目の涙がほとんど出なくなり、徐々に角膜が混濁し視力が低下していきました。また、見えにくいという症状の他、目が非常に痛いという特徴があります。
わずかに視力があっても、目を開けているのが辛いので、日常生活や仕事に様々な支障を来します。特に私の場合は、肺にも重度の後遺症が残り、労作性の呼吸困難を来しています。 私達は普通の学校を卒業し社会人として働いていました。
しかし、 私は20代後半で、一般の職場環境にはこれ以上、目が耐えられないということで休職し、その後、筑波大学付属盲学校の鍼灸科に入学し鍼灸師免許を取得しました。 その後、夫も角膜障害や緑内障がかなり進行してきた為、同じ筑波大学付属盲学校の鍼灸科に入学し、免許を取得しました。
あらためて当時を振り返ると、生活にも困窮し、将来に希望を見いだせないまま精神的に追い込まれていたと思います。
盲学校の3年間は大変厳しいものでしたが、会社で働けなくなった私たちに生きる術を与えてくれました。 私たち夫婦は、鍼灸と出会えたことで、人生が変わった、と言っても過言ではありません。ですから、鍼灸を学べたことは、ただたた感謝しかありません。

さて、次に私たちの治療院の歩みと概要について、お話させて頂きます。 ここからは、院長小宮の物語です。 院長小宮は免許を取得後、いったん都内でヘルスキーパーとして働きますが、マッサージを行う体力はなく、乾燥した職場環境にも耐えられず、数年で退職。
その後、自宅の一室で鍼治療室をはじめました。 そして、2009年8月に東京都板橋区の大山に9坪の店舗を借りてオアシスはり灸治療院をオープンしました。そこは商店街から道一本入った、人通りがほとんどない住宅街で、看板も出さずにはじめました。 こんなところで鍼灸院を開いてもすぐにつぶれるだろう、と近所の人たちは誰もが、そう思ったに違いありません。内心、私や親族も、そんなに流行らないだろうと思っていました。
ただそこから、院長小宮の快進撃がはじまります。 開業から一年も経たないうちに、常に患者さんの予約でいっぱいという状態になっていました。たった一人で、すごい!と思いました 新聞などの取材も受けるようになり、患者数もどんどん増えました。同時に、従業員も増えたため、2012年には院内の拡張工事を行いました。
その後も、予約が取れにくいなどの状況が続いたため、平成30年の7月、開業10周年を機に、JR板橋駅前に店舗を拡張移転しました。また、個人事業から株式会社を設立し、従業員のために厚生年金などの社会保険の充実を図りました。 新店舗は、駅目の前で20坪弱のテナントビルです。
私たちは重度のドライアイとシックハウスを抱えています。ですから内装工事の費用は「相当な金額」となりましたが、自分やスタッフ、患者さんの健康を害さないように壁や床を天然素材でリフォームし、床全面に床暖房を設置しました。キッツルームなども作り、患者さんが通いやすい環境も整えております。
そして現在は、鍼灸師3人で、月500名前後の患者さんを施術しています。 開業当初から99.9%が鍼治療の患者さんというのも大きな特徴です。 治療内容は、眼精疲労や眼病治療、突発性難聴などの耳の治療など、専門分野に特化しているため、都外からの患者も多く、神奈川、千葉、埼玉、また栃木、群馬、茨木、静岡など、多くの患者さんが遠方から来院します。
このような話をいたしますと、「治療院の運営」は、それほど難しいことではない、と思われるかもしれません。 ただ、はっきり申し上げて、鍼灸院を開業して、生計を立てられる収入を、将来にわたり継続的に得ていくのは、非常に厳しい現状だと思いまいます。
これは、目に障害がない全く健康な鍼灸師であっても同様で、私たちのように視覚にハンデがある者にとっては、猶更のことだと思います。
一般的に鍼灸師が治療院を開業して、サラリーマンの平均年収並みの収入を得られるのは全体の2割~3割程度です。残りの7割が、細々と何とかやっているという状態か、残念ながら廃業してしまうという調査データもあります。また、町には、どんどん整骨院や無免許マッサージ店が増え、競争が激化しています。
ではなぜ、私たちの治療院は10年、成長し続けることができたのか? それは、「自らの病気の体験を治療院の開業・運営につなげている」からだと思います。 ここで、院長小宮にバトンタッチします。

私からは、なぜ盲学校に入学したのか。また、なぜ治療院を開業しようと思ったのかについてお話したいと思います。 私は8歳の時、風邪を引いて小児科で処方してもらった薬の副作用でスティーブンスジョンソン症候群を発症し、目と肺に障害を負いました。
その後、目の痛みや息苦しさを抱えながら20代は一般企業の会社員として事務の仕事をしていました。ですが、目の症状はどんどん悪化していき、会社の仕事を続けていくのが困難となった時、もう自分は働くことができない、自分が働ける場所は、どこにもないと、ひどく心身を病んでしまいました。
この時は、鍼灸など病院以外の治療法を、私も家族も知らなくて薬に頼りしかありませんでした。安定剤を多量に飲んでもベットから起き上がることが出来ないという最悪の状態でした。両親からは、女性でも自立して働くのが当然と、子供の頃から厳しく育てられたので、働けないことが、将来の不安と重なり、大きなプレッシャーでした。
そのような中、盲学校の鍼灸科のことを知り、目が悪くても鍼灸師として、再び仕事ができるようになるという希望が芽生えました。そして、筑波大学付属盲学校鍼灸科に入学しました。
それから、私が鍼灸の道に進んだのは、目が悪いと沢山の人が手を差しのべて下さるのですが、助けて貰うばかりで自分は何も出来ないのだろうか? もしかしたら、鍼灸治療なら人様のお役に立てるかもしれない、社会に貢献できるかもしれない、と思えたからです。
学生生活は、とにかく体調が悪くて、授業に出席するのが精いっぱいでした。ただ、少しでも自分の体調を良くしようと、空いた時間を使って、様々な鍼灸院で治療を受けていました。
そして、知人の紹介で某先生の経絡治療を受ける機会がありました。治療はわずか数分で終了し、しかも手足を中心に数か所しか針を刺さないという治療でしたが、劇的に体調が良くなりました。 その時、自分も先生と同じ治療を出来るようになりたいと思い、まずは患者として通い続けました。
先生からは治療中に、食事や生活に関する様々なアドアイスを受けましたが、今では自分の患者さんにも、同じことを伝えています。 ただ、経絡治療を受けても、眼精疲労に関しては大きな改善が得られませんでした。教科書を少しでも読もうとすると目が痛くなってしまい、勉強どころではありませんでした。 それならば、自分で自分の眼精疲労を治療しようと思い立ったのです。卒業研究のテーマも「眼精疲労やドライアイに対する鍼治療の効果」として、ひたすら自分の目に鍼を打っていました。

院長は治療院で、よく患者さんに「自分は患者あがりだ」という会話をします。今現在、当院が行っている鍼治療は、院長自らが受けて良いと感じ、患者さんにもしてあげたいと思った治療を、そのまま行っているにすぎません。
次に、なぜ院長小宮は、開業という道を選んだのか?開業の経緯、開業して良かった点などを話してもらいたいと思います。

私が何故、開業したかというと、私には開業するしか選択肢がなかった、からです。 とにかく目が乾きますので、夏でもエアコンなどは使わず、数台の加湿器をどんどん炊いて、ようやく目が開けられる環境となります。
通常の室内では、とても継続して働くことはできません。学生時代、担任の先生から「あなたは開業するしかない」と言われていました。ですから、開業して自分が働ける環境を自分で作るしかないと考えていました。
まず初め、卒業から数年後に、自宅の一室で治療室を開きました。治療室といっても、主人の父が日曜大工で作ってくれた簡易的なベット1台を置いただけでした。自宅は住宅街の奥まった路地裏にあり、通行人はゼロ。しかも貸家なので、勝手に鍼灸院を開くことはできませんでした。
かろうじて、看板を出さなければやって良いと大家に言われたので、患者さんは完全な口コミのみでした。それでも、自分がやりたい経絡治療ができるので満足でした。ちなみに板橋は地元でもなんでもないので、ほとんど知り合いがいない、という状態でした。
初めての患者さんは、以前から朗読ボランティアをしてくださっていた近所の主婦の方。その方が、私の治療を気に入ってくれて、患者さんを何人か紹介してれました。 また、高校時代の先輩も声をかけてくれました。
私は長野出身ですが、同じ高校の出身で東京の出版社に勤めていた先輩が脳出血で倒れたということで、訪問治療をさせて頂きました。その先輩も、知人を何人か紹介してくれました。 自宅開業した際、電話番号と地図を描いた名刺だけは主人に作ってもらいました。この期間は、知人と、その紹介の人を治療するという、なんとも綱渡りの状態でした。
ですから、生計を立てられる程の収入にはなりませんでした。やはり、鍼灸で開業して生活していくには、もっと不特定多数の患者さんに来てもらう必要があり、それには店舗を構える必要があると感じました。
自宅での治療代金は2000円でしたが、あるとき患者さんが無言で5000円を置いて行ったことがありました。それは、自分はもっと本格的な治療院を開業しても良いんだと確信を得た瞬間でした。それから店舗開業の準備に取り掛かりました。
まずは店舗、探しです。 身体が弱くて通勤が困難なので、自宅から通える範囲で、10坪ぐらいの店舗はないか?歩いたり、階段をのぼると息が切れるので、できれば駅近くの1階店舗がいいかな。目が乾くと仕事にならないので、業務用エアコンではないストーブなどが使用できる店舗はないか? 等など、まずは自分がちゃんと働ける環境を最優先に店舗を探しました。
ですから通行人の数や、看板設置の条件などといった、集客や経営のことは一切考えませんでした。 3ヵ月ぐらい探していましたが見つかりませんでした。
ただ、ある時、偶然通りかかった路地裏の建物の一階の窓に「貸店舗」という張り紙があるのを見つけました。ただ、実際、建物の中を見てみると、床も壁も板が張られていない、工事現場のような状態でした。案の定、半年以上、借り手がついていない、とのことでした。
実は、これが私にとって運命の出会い、となったのです。いわゆるスケルトン契約という形態で、内装はすべて自分の好きなように、一から作れるというものだったのです。ただ、トイレはおろか、壁もない床もない状態だったので、初期費用が掛かることは覚悟しました。
さて、店舗の契約の次は、内装工事です。 大山の旧店舗はスケルトンの状態から床板や壁を新しくつくり、空気が乾燥しにくいガス式床暖房を設置しました。結局、電動ベットの費用などを合わせて相当な初期費用がかかりましたが、スケルトン契約の分、月々の家賃を抑えることができました。
第二章「鍼灸治療編~患者さんが良くなること、 それが私のすべて。~ 」(只今、執筆中です、)

最後になりましたが、鍼治療の魅力について、私の方からお話しします。 私は体力がなくマッサージができませんので、治療院は鍼灸専門としています。また、自分が様々な治療を受けてきた中で、自分が受けてよかったと思える治療のみを、患者さんにも行っています。
経絡治療は私の人生を変えてくれましたし、目の鍼がなければ、私は目を開けていることすらできません。 ですから、皆さんも是非、鍼灸を好きになってください。そして自分が抱えている病気や不調が鍼灸で改善できるかどうか、どんどん鍼灸を試してみてください、
鍼治療は、これからもっと多くの人に必要とされる医術だと思います。先日、NHKでも東洋医学や鍼灸の効果に関する特集が組まれるなど、鍼灸に対する社会的な関心が非常に高まっています。
鍼灸師は社会に必要とされる素晴らしい職業です。皆様どうぞ国家試験合格に向けて勉学に励んでください。そして、鍼の技術に磨きをかけて、ともに社会に貢献できることを願っています。
